伊東恵(いとうめぐみ)さんは元シンクロ選手でシンクロの女王小谷実可子さんが勝てなかったほどの天才だったのだそうです。
【消えた天才】に伊東恵さんが出演され『22歳でシンクロから引退した理由』が明かされます。
その理由は【ソウル五輪】での銅メダルの悲劇と言われています。
伊東恵さんのシンクロを引退してしまった理由や今現在はどうしているのかを調査してみました!
伊東恵(シンクロ)のwiki経歴プロフィール
伊東恵(いとうめぐみ)
生年月日:1966年3月6日生まれ (現在52歳) 出身地:東京都 学歴:和洋九段女子中学校→和洋九段女子高校 →青山学院大学 |
伊東恵さんは水泳を5歳から始めました。
そして小学校2年生から本格的にアーティスティックスイミング競技(シンクロ)を始めます。
小谷実可子さんとペアを組み、デュエットで
1985年の19歳の時にパンパシフィック大会で優勝!
翌年も連覇を果たします。
1986年の世界選手権ではみごと銅メダルを獲得しました。
その後1988年のソウルオリンピックの五輪選考会を2位で通過し、出場権を得ます。
ソウル五輪には【小谷美香子】、【伊東恵】さらに【田中ウルヴェ京】
の3名がソウル五輪代表に選出されました。
このソウル五輪で
【小谷美香子】はソロで銅メダル
【小谷美香子】&【田中ウルヴェ京】ペアで銅メダルを獲得しています!
残念ながら伊東恵さんは出場できませんでした。
そして伊東恵さんはその後、22歳の若さでシンクロ選手を引退しています。
小谷 実可子のwiki経歴プロフィール
「1秒でも長く寝たいのですが、そこはぐっと我慢して5分間ストレッチ」。それをするだけで、睡眠が深くなるし、翌日に疲れが残りにくいと、元シンクロ選手の小谷実可子さんに教わりました。#nikkeistyle #ヘルスUP https://t.co/96DTnCzFeB
— NIKKEI STYLE (@nikkeistyle) 2018年12月27日
小谷実可子(こたにみかこ)
生年月日:1966年8月30日 (現在52歳) 出身地:東京都 学歴:日本大学文理学部 夫:杉浦雄策(元陸上短距離選手) |
小谷実可子さんは、幼い頃からシンクロを始め、
ソウル五輪のデュエットでペアを組んだ【田中ウルヴェ京】さんとは10歳の時に出会っていました。
1978年の「カナダ年齢別選手権大会」で日本代表として出場ソロ、デュエットとも3位に入賞。
1988年のソウル五輪でソロとペアで銅メダル!
国際大会でソロ優勝多数。
1922年のバルセロナ五輪に【奥野史子】【高山亜樹】【小谷実可子】の3名が選出されました。
その後、小谷実可子さんは引退されて、
1999年に元陸上短距離選手の杉浦雄策さんとご結婚。
子供は二人の娘さんにも恵まれています。
現在はスポーツコメンテーターやオリンピック委員会での仕事もされています。
伊藤恵のソウル五輪での悲劇とは?
ソウル五輪では、伊藤恵さんも代表に選ばれたものの、ペアに選ばれたのは
【小谷美香子】&【田中ウルヴェ京】ペアでした。
現地での成績で決勝に出るペアの選手を直前に選ぶというのがチームの方針で成績が3番目だった伊藤恵さんは出場できなかったのです。
伊藤恵さんが選ばれなかった理由は、
・直前のソロの選考で3位になってしまった。
・エースである小谷実可子さんは絶対出場。
そこにいかに『シンクロ』できる選手であるかどうかという事が重要。
伊藤恵さんの方が実力は上でしたが、小谷実可子さんの演技に同調できるという能力では【田中ウルヴェ京】さんの方が合うという結論だったのです。
小谷実可子さんと同い年で、技術力よりもいかにシンクロできるか・・という点では優れていたのですね。
伊藤恵さんは、本当に悔しい思いをされたことでしょう。
そして・・さらなる悲劇が・・
ソウル五輪を終えて帰国したシンクロ3人の首には銅メダルがかかっている様子が写真にも残っています。
帰国時には『補欠にも銅メダルはもらえるけどあとになる。帰国して何もないのも寂しいから』ということで実は小谷実可子さんから借りた銅メダルを下げていたんだそうです。
そして帰国後の記者会見でも『小谷実可子さんの銅メダルを借りて3人ともメダルをかけて写真を撮らせて』と無理矢理なお願いをされたのです。
屈辱的ですし、残酷な言葉ですよね・・
その後、伊藤恵さんにも銅メダルをもらえるのかと思いきや・・
出場した二人のみにしか銅メダルはその後も授与されなかったのです。
【シンクロナイズドスイミング競技では補欠選手にはメダルの授与がない】という規定があとから判明したのです。
団体競技のサッカーは18人、バレーボールは12人と登録選手が決められていて、その人数の選手はもらえるそうなのですが・・
シンクロではそういうルールだったのですが、知らされていなかったのですね。
伊東恵(シンクロ)が引退してしまった理由とは?
伊東恵さんが帰国後、
ソウル五輪での活躍や報道を見た人に
『銅メダルを見せて~』『銅メダルはどこにあるの?』と聞かれるたびに、
事情を説明しなくてはならず・・
オリンピックに出場したけれど
『メダルを手に出来なかったメダリスト』
となってしまった伊東恵さんの心にはぽっかりと大きな穴が開いてしまったのかもしれません。
その後も、新しく出会った職場の人や友達と会話でも、
『シンクロでオリンピックに出たことがある』と伊東恵さんが言う事はなかったそうです。
小谷実可子にも似た悲劇が起きていた!
【小谷実可子】さんは少し休養宣言し、1992年にまた現役復帰。
1922年のバルセロナ五輪では【奥野史子】【高山亜樹】【小谷実可子】の3名が選出されました。
初めは【高山亜樹】【小谷実可子】で出場すると発表されたものの、直前で変更。
本番は、【奥野史子】【高山亜樹】で出場することになり、銅メダルを獲得しました。
小谷実可子さんはこのデュエットの試合を観客席から見ていました。
複雑な思いが溢れ、真っすぐに見れなかったのではないでしょうか。
そして試合終了後、涙を流す小谷実可子さんの姿がありました。
当時、この涙を流している小谷実可子さんの姿はテレビでも繰り返し放送されていました。
そしてこのバルセロナ五輪の後に小谷実可子さんは現役引退しています。
伊東恵(シンクロ)の現在は?
伊藤恵さんの現在の仕事については次ページへ!
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