高田賢三(ケンゾー)さんは【KENZO】のカリスマデザイナーで実家もスゴイんだそうです。
さらに高田賢三(ケンゾー)さんのパートナーは男という情報があり結婚はされているのか気になりますよね。
高田賢三(ケンゾー)さんが韓国の企業に訴えられているという衝撃のニュースが・・
高田賢三(ケンゾー)さんのwiki経歴プロフィールや若い頃も調査!
さらに高田賢三(ケンゾー)さんは破産という噂もあり、現在の資産も気になりますよね。
2020年10月、コロナウイルスに感染されて亡くなられました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
高田賢三(ケンゾー)さんの年齢・wiki経歴プロフィール
高田賢三(たかだ けんぞう)
生年月日:1939年2月27日 (現在・79歳) 出身地:兵庫県神崎郡・姫路市 学歴:姫路市立広嶺中学校→ 兵庫県立姫路西高等学校 →神戸市外国語大学2部英米学科中退 →文化服装学院デザイン科師範科を卒業 |
高田賢三(ケンゾー)さんにはお姉さんがいました。
そのお姉さんは洋裁を習っていました。
その影響で洋裁に幼い頃から親しみ、ファッションにも興味を持ち、ファッション雑誌も読んでいたそうです。
男の子なのにオシャレに夢中な子供だったんですね!
神戸市外国語大学に進学するも、ファッションの世界への思いがあり中退。
文化服装学院ではあのコシノジュンコさんも同級生で【花の9期生】と呼ばれるほど、多くの有名デザイナーを輩出した学年だったそうです。
文化服装学院を卒業後は【三愛】などに就職して国内で仕事をしていましたが、1965年にフランスへ旅立ちます。
その後、高田賢三さんは1970年に【KENZO】を立ち上げ、独立されています。
初めは【ジャングルジャップ】という名前でお店をオープンさせたそうですが、このネーミングに、パリの社交界でも活躍していたデヴィ夫人から注意されたそうです。
【ジャップ】という単語が日本人に対する差別用語だったのです。
そのため【KENZO】にあわてて変更したんだそうです。
高田賢三(ケンゾー)さんの実家は?
高田賢三さんのご実家は、姫路城の北にある梅ケ枝町にありました。
ご実家はその花街で【浪花楼】という待合を経営していたんだそうです。
(【待合】とは、主に芸妓さんと遊興や飲食のために待ち合わせの場所を提供するところ)
普段から芸者さんの歌声や三味線の音色が聞こえるというちょっと変わった環境で
幼いころから、色鮮やかな美しい着物の反物で遊んだりしていたそうです。
この幼少期に見たり感じたものが、【KENZO】のビビットな色づかいの独自の世界観を生み出していたのかもしれませんね。
高田賢三(ケンゾー)さんのパートナーは男で結婚は?
デザイナー高田賢三が宮本亜門演出による「蝶々夫人」の衣裳デザインを担当。2019年10月に上演https://t.co/QprAVshRzY pic.twitter.com/Z25OeIbpkW
— FASHIONSNAP.COM (@fashionsnap) 2018年12月26日
高田賢三さんには最愛のパートナーがいました。
【グサビエ・ドゥ・カステラ】さんという男性です。
仕事でも『KENZO』の株をお互いに保有しておりビジネスパートナーでもあったそうです。
しかも【グサビエ・ドゥ・カステラ】さんは
『伯爵の称号をルイ14世からいただいた貴族』の方なんです。
さらに建築にも詳しく、日本の建築や古城の歴史や建築にも精通しており、豊かな才能の持ち主だったんですね。
しかし【グサビエ・ドゥ・カステラ】さんは1990年に亡くなられています。
高田賢三さんは、結婚歴はなく現在も独身です。
パートナーも男性でしたし、普通の結婚は望まれていないのかもしれません。
高田賢三さんの若い頃の写真は?
高田賢三が仏で最も権威のあるレジオンドヌール勲章を受章https://t.co/cmeLYACt8E pic.twitter.com/tiKLxxB0Ov
— FASHIONSNAP.COM (@fashionsnap) 2016年1月6日
こちらは3年ほど前の写真です。
それにしてももうすぐ80歳になるようには 見えないくらい若々しいですよね。
さらに若い頃のお写真はこちらのページに掲載されていました。
高田賢三(ケンゾー)さんの現在
【スナップ】
「セットプルミエ」 × 高田賢三の来日記念パーティーが開催https://t.co/iRgl1uc1j9#セットプルミエ #SEPTPREMIERES #高田賢三 pic.twitter.com/9jK6Qo4cf1— WWD JAPAN (@wwd_jp) 2016年9月9日
高田賢三さんは【KENZO】を売却し自己破産・・
その後、瞬く間に有名ブランドとしての地位を築き上げた【KENZO】でしたが、経営難に悩まされることになってしまいました。
【KENZO】は1993年に【モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン】(LVMH)に売却してしまったんです。
【モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン】はルイヴィトンやシャンパンのモエヘネシーなどを筆頭に、数々の有名ブランド(セリーヌ・ロエベ・ディオール・フェンディなど多数)を傘下に持つ、有名ブランドメーカーです。
ファッション業界で生き残るのは大変なことなんですね・・( ゚Д゚)
【KENZO】を売却した理由は・・
・共同経営者フランソワ・ボーフュメとの確執があった。
・近藤淳子さんというパタンナーが脳梗塞で倒れてしまった。 ・パートナーのグザビエさんを亡くして心身ともに不安定になった。 |
など不幸な出来事も重なってしまったようです。
自己破産もされていたようです。
デザイナーを引退→復帰
【KENZO】を売却後、1999年ごろにはデザイナーとしては、引退してもう仕事をしていなかった時期もあったそうです。
その後、2003年にまたデザイナーとして再起。
2004年【アテネオリンピック】のユニフォームデザインを担当し、また復帰して活躍されていました。
さらに2016年には「セットプルミエ」というそごう×西武×イトーヨーカドーのプライベートブランドブランドのデザインも手掛けていて、バリバリ現役のデザイナーとしてまた再起されています!
高田賢三(ケンゾー)さんの資産は?
【KENZO】は1970年から1980年代にかけてパリで一世を風靡しおよそ1000億円以上もの売り上げを記録する大人気ブランドになりました。
その後、パートナーのグザビエさんと二人で設計したバスチーユの邸宅は日本の伝統を取り入れた大豪邸でした。
しかし、1993年に【KENZO】を売却した後、
2004年に「五感工房」を立ち上げましたが、経営が上手くいかず2007年に破綻してしまっています。
その後2009年には自宅のバスチーユの豪邸を売却。
そのため不動産の資産は売ってしまったんですね。
現在はパリのサンジェルマンにアパートメントにお住まいです。
しかし、そのパリのインテリアは
ダイニングに1世紀の中国の木製の馬が飾られ
リビングには1930年製の【ジャン・デュナン】の作品の台座があったり、
【ジャン・コクトー】の線画が飾られていたり・・
とおしゃれセレブなインテリアなのでした!
【フィギュア紀平梨花や羽生選手担当の若手衣装デザイナー】
【渡辺直美と同級生であいみょん担当の若手アーティスト】
まとめ
『高田賢三(ケンゾー)の実家がスゴイ!パートナーは男で結婚は?現在の資産は破産?』
と題しましていろいろと調べてみました。
高田賢三さんはご実家も花街にあり特殊な環境で育ったんですね。
だからこそのセンスをお持ちなのだなと感じました。
ファッション界に素晴らしい功績を残された高田賢三さんのご冥福をお祈りいたします。
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