南極に寿司屋を開いた日本人とは?【小堺一機】の父・小堺 秀雄?【やりすぎ都市伝説】

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【やりすぎ都市伝説】【南極に寿司屋を開いた日本人】のお話がありました。

南極には、さまざまなミステリーが隠されていますが、【南極に寿司屋を開いた日本人】は一体、誰なのでしょうか?

タレントの【小堺一機】さんの父親の『小堺 秀雄さん』だという情報が!

そしてなぜ【小堺一機】さんの父親が南極に寿司屋を開いたのでしょうか?

さっそく行ってみましょう!!

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南極に寿司屋を開いた日本人とは誰?

なんと南極に寿司屋を開いた日本人とはタレント【小堺一機】さんの父親だったんです!

【小堺一機】さんの父親の【小堺 秀雄】さんという方です。

【小堺一機】さんの父親の【小堺 秀雄】さんの経歴

注・小堺一機さんです!お父さんも似ているのかな?

引用:浅井企画ホームページより

【小堺 秀雄】さんはもともと新潟県の出身で市川市で寿司職人をされていました。

その後、職場移動で浅草で寿司職人として、腕を磨きます。

そんなある日、料理雑誌で『南極料理人募集!』の広告が目に留まりました。

もう募集期限は締め切られていたそうですが、とりあえず応募してみたところなんと採用されたそうです。

採用された理由としては【小堺 秀雄】さんの{元気で明るく陽気でポジティブな性格}だったそうです。

そして『私は新潟生まれですので寒さには強いです!!』と猛烈アピールしたこともあって当時の隊長に気に入ってもらえたんだとか。

しかも民間人からは、初の採用だったそうです。

奥様も快く送り出してあげたそうですよ。

旦那さんが突然『南極に行きたい!!』なんて言ったら、反対する奥さんも多いと思いますが、さすが、小堺一機さんのお母さんですね。

肝が据わってます!

第9次と15次の南極地域観測隊に参加されたそうです。

なので南極の昭和基地に二回も行かれているんです。

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南極料理人の生活と仕事内容

南極料理人の倍率!

日本南極地域観測隊料理担当になるための応募倍率はその時代によって違うのかもしれませんが、ここ近年の応募倍率はなんと50倍なのだそうですよ!

そして合格してからも、健康診断で問題ないかのチェックを通過さねばなりません。

その後、冬と夏に合宿と研修があります。

その後、国立極地研究所で準備をしてから出発になるんだそうで、合格してからの研修期間もけっこう長いんですね!

南極料理人のお仕事と年収

そして南極料理人のお仕事は過酷です。

他の日本南極地域観測隊の方と違って料理を食べない日は一日もありませんので実質無休!なんだそうです。

そして気になるお給料事情ですが、近年の話になりますが、月収の平均約50万円!

その他に旅費・極地手当などがあるそうですよ。

なのでだいたい年収ですと800万円から1000万円にはなるみたいですね!

そして毎年次の年度の公募での募集はだいたい10月ごろ発表されて11月末に締め切りなのだそうです。

我こそは!!というアナタはぜひ応募してみては?!

南極での寿司づくりの工夫

↑若かりし頃の小堺秀雄さん

南極ではどうしても同じような食事ばかりになりマンネリ化しがちでした。

そこで【小堺 秀雄】さんは、南極料理人の寿司職人としてもっと楽しめる食卓にするために様々な工夫を凝らしました。

新鮮な現地の魚介類を【小堺 秀雄】さん自ら釣ってきて、さばいてお寿司にして提供したこともあるそうです。

さらに、みんなを楽しませたい!という思いから『流しソーメン』ならぬ『流し氷上ソーメン』をやったことも!

しかし、南極の氷にへばりついてしまって大失敗だったそうですが・・( ゚Д゚)

でもエンターティナー的な発想が素晴らしいですね!

やっぱりさすが、小堺一機さんのお父さん!

しかも最近は改良を重ねていって上手くできるコツがつかめたのか、この『流し流氷ソーメン』現在も南極でやっているみたいです。

元祖は小堺一機さんのお父さんでしょうね(笑)

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なぜ南極に寿司屋を開いたのか?

正確に言うと南極に寿司屋を開いたというよりも、南極に寿司屋の屋台を日本から持っていき、寄贈したんだそうです。

寿司屋の屋台なんて重そうなモノ、どうやって南極まで持って行ったんだろう!?( ゚Д゚)

【小堺 秀雄】さんが寄贈したその屋台は現在もあるんだそうですよ!

現在でも南極の昭和基地で寿司パーティーを行ったりする際に使われているそうです!

なんと物持ちのいい屋台なんでしょう~~。

その南極に持って行った寿司屋の屋台には『鮨一機』と名前が刻まれているんだそうです。

これは、息子の小堺一機さんのお名前じゃないですか!

息子さんのお名前をあえて刻んだのでしょうか。

そして屋台のケースには『小堺』と名前が書かれているんだそうです。

現在でも『鮨 一機』は年に数回しかオープンしないけれど【南極の寿司屋】として健在なのだそうですよ!

その後、1997年にはテレビ番組の企画で、小堺一機さんとお父さんで南極に行ったこともあるんだそうです。

【関連記事・スペインでどら焼きを広めた人】落合尚(たかし)スペインでどら焼き広めた和菓子職人!経歴や妻や子供は?お店情報とオススメスイーツは?

まとめ

{南極に寿司屋を開いた日本人とは誰?【小堺一機】の父?【やりすぎ都市伝説】}

と題しましていろいろと調べてみました。

小堺一機さんのお父さんがこんなスゴイ方だったなんて知らなかったです。

そしてやっぱりお父さん譲りの明るさだったのですね。

南極で今でも年に数回オープンされている『鮨一機』、いつかお目にかかってみたいものです。

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